病気が治った日のこと

わたしが今、治療家としてここに在る最も大きなきっかけとなったものは、自分自身の病気の体験です。

その中でも特に影響のあった出来事は、病気が治ったと自分自身が確信できたある朝の体験です。

ここではその体験について書いてみたいと思います。

慢性疲労症候群という病名がついてから4年目になっていました。

その頃は、漢方薬、はりきゅう治療などでだいぶ回復していましたが、少し動くと疲労が残り、まだ自分自身のからだに自信が持てないような状態でした。

そんなある日の夜、私はどうにもこうにもじっとしていられない、いたたまれない、自分自身ではどうにも抑えることができない、そんな中からわいてくる衝動におそわれました。

どうにもできないので家族には
『頭がおかしくなったわけではないので心配しないでほしい。ただ、どうにもこうにもじっとしていられないのでちょっと散歩に行ってくる』
と話をし家から歩いて出かけました。

11月の寒い日の夜9時過ぎだったと思います。自然のある公園のようなところが落ち着くのでないかと考え、公園へ行ってみました。

ところがそこでは若者がたむろをして騒いでいて、落ち着くような場所ではありません。

どうしようかと思っていましたが、その場所が姉のマンションのすぐそばでしたので電話をして訪ねてみることにしました。(夜遅かったのですが、そんなことを冷静に考えられる状態ではなかったのだと思います。)

姉のところに行ってものすごい勢いでその時湧いてきたあらゆる思いを話しました。

姉がふと
『そんなに元気なのだから、病気治ったじゃない?』
との意味のことを指摘しました。

私もその時はそうかもしれないとは思いましたが、まだ確信できるようなものでもなく、まだ気持ちが落ち着かない、じっとしていられない気持ちでしたので姉の車を借りてまた出かけました。

それからどこをどのように走ったかは今は思い出せませんが、明け方少し明るくなってきた頃、コンビニでおにぎりを買い、近くの公園のベンチに座って食べていました。

だんだんと夜が明けてきて、小鳥がチュンチュン鳴きだしました。

『ああ、なんて気持ちがいい朝なんだ。』
と思っていたその時、自分の輪郭がひろがっていき、まわりとの境界がなくなり、どんどん、どんどん、ひろがっていって硬い自我が溶け、自然と一体化したような感覚に突然おそわれました。信じられないかもしれませんが、本当に予期もせず、期待もしないで突然一瞬にしてそのような境地になったのです。

それはそれは気持ちのいいもので、本当に”ここちよい”ものでした。(その頃私は周囲によく”ここちよい”と言っていました。)

ただこの公園は地下鉄の駅のそばで、通勤時間が近づいてくると通勤者の足音が響いてくるようになりました。

その音により私の気持ちのいいひろがった空間もせばめられ、ここちよさも半減しました。

この一連の体験で私は、

『朝がこんなに気持ちの良い時間であることも、自分が自然の一部であることにも気付かず、いや全く気付かないふりをして生きてきた。』

『自然に目も向けることなく感じることもしないで、ただ人間社会の中だけに、自分の脳の中でけに限定した世界で、生きていた。』

と体感的に理解しました。

この出来事を境に私の体調は著しく変化し、微熱、リンパ節の腫れ、疲労感、血尿全てが改善しました。
 

そして迷うことなく、自分自身が身を持って体験した氣の医学の世界に飛び込みました。

最後にコリン・ウィルソン著『至高体験』の一説でアメリカの心理学者のアブラハム・マズローの言葉を引用します。

「このような瞬間は純粋であり、積極的な幸福感に満ちている。あらゆる疑惑、恐怖、禁忌、緊張、弱さが追い払われる。今や自己意識は失われる。世界との分離感や距離感は消滅し、同時に彼らは世界と一体であると感じ、世界に融合し、まさに世界に属し、世界に外側にあるのではなく、世界の内側に見入るのだ。たとえば、ある患者は語った。〈私は家族の一員のような感じがしました、孤児ではなくて。〉と」

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